京都の嵐山ゆうたら、そら京都市内でもどころか京都府内でもどころか近畿圏内あるいは日本国内に於いても屈指の観光名所ですわな。
そないな観光名所にある駅として、阪急嵐山駅はやはり観光地の玄関口、顔として、なかなかに綺麗な造りになっておるわけです。で、今日は日曜日。私はいつものごとく仕事に向かいますが、世間の多くのかたがたは休日であるからして、観光のために嵐山に来られる訳です。阪急で。
で、せっかくの観光地嵐山に来たんだから、さっそく記念写真をとっちゃうよ!ということで、電車を降りるやいなや、今し方乗り込んできたその渋い臙脂色の阪急電車と『嵐山駅』の文字をバックに、記念写真をとられたりされてる訳です。嵐山、という単語には、それだけの非日常性を演出する魅力があるんやなあ、、と、しみじみ思う訳です。
現在のわたしにとって、嵐山はまあ単に住んでるところ、みたいな役割が強くて、付近の観光はほっとんどしません。休みは基本ギターギュイーンチュミミーンですし、普段は汽車犬の如く労働に明け暮れておりますし。で、阪急嵐山駅も、毎日の職場へ向かい職場より帰ってくる発着所、という位置付けがほとんどです。
それが当然の毎日で忙殺忙殺な日々なんですが、普通に考えて、めちゃくちゃもったいないですよね。あの京都の嵐山に住んでて、職場と自宅との往復の日々。てか、あの京都に住んでて、ほとんど観光してないここ数年間。なんじゃそりゃ。最高級の日本料理が目の前にあるのに、コンビニでポテチとコーラばっかり買ってきてそれが主食の日々、みたいな感じ?ネココバ、ブタシンとはまさにこれ。あ~あ。でもそんなんゆうても、結局観光しないんですよ。で、将来、京都を離れて初めて、『あん時の俺は大馬鹿者だった』といつもの後悔するんです。後悔だけが人生なのだなあ。後悔だけが人生なことよなあ。詠嘆。

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